人物を描きたくて、粘土で立体を作ってみたり、人物デッサンアトリエへ行ったりした。
写真を見て描くことが多かったけど、一番面白かったのは新聞記事。
記事を読みながら、人を想像して、白黒写真に勝手に色をつけていく。
風景は樹と空の関係が面白かったけど、どちらかというと、MOB(舞台の群衆)のように一本ずつ性格付けて見ている。
画材は、油彩と水彩、またその中間を繋ぐAqylaという絵の具。テンペラの代替え的に混合技法として使っている。
レ・ミゼラブルは19世紀半ばに発売された、一大ベストセラーである。
識字率が低くかった当時、活字出版に版画の図版をつけて週刊連載として発行された。
さながら大河ドラマのように、毎週カフェに集まり、市民たちは回し読み、朗読、絵を見ながら、その物語を楽しんだ。
絵があることで物語的世界を大いに盛り上げ、レミゼの売上に貢献してるんじゃないかな。
図版は300枚以上、絵はいわゆる名前がさほど残っていない二流画家たち20名が交代で、5年間、週刊発行に合わせて描きあげた。
鹿島茂編著の『「レ・ミゼラブル」百六景より』で、この話を読み、図版を見た後、自分はこれ全部描いてみたいと思った。
そのうち、白黒では物足りなくなって、色をつけた。
写真が普及してない事もあり、一枚の絵に物語的要素をたくさん詰め込んで、絵画・挿絵ならではの、独特の構図。
絶対にこうは見ることはできないだろう的なアングルとか。
写真を参考にして描く事が多かった自分には、とても目から鱗状態で、油絵より要素がシンプルで、描きやすかったのも良かった。
何故なら、一枚を何十時間もかけて完璧な絵を仕上げるというのではなく、
10時間あったら10枚描きたい、という勢いだったから。
ただ問題があって、それは絵の技法的なことではなく、テーマ。
描いてて悲しすぎるのね。翻弄される人生。悲惨な男代表、ジャン・バルジャン。
あんまりに可哀想で、描いてるうちにふさぎ込んで泣きたくなってしまう。
なので、1部バルジャン編30枚描いたところで、一旦とまっている。次章の悲惨な女代表、ファンティーヌ編は、
読んでるだけでも辛いのに、感情移入して挿絵なんか描けるかどうか、メンタル自信がない。
早くマリウスとアンジョルラス、ガブロッシュあたりを描きたいんだけれど、ちょっと止まってる。
画材はなんでもいい。その辺にあった、コピー用紙と鉛筆、色鉛筆。喫茶店で描いてた事もある。
広い面積に色を塗りたいときは水彩で。水彩専用紙につけペンを併用してる。
そんな時に、偶然見たのが「ベルサイユのばら」のアニメーション。
レ・ミゼラブルの少し前の、宮廷のきらびやかさから始まり、フランス革命で終わる話である。
フランス革命についてはさっぱりで、アメリカ独立戦争とどっちが先かも知らなかった。
そういえばレミゼの映画を見て一番最初に気になったのは、何故、学生たちはバリケードを作ったのか、ということ。
ベルばらアニメでもラスト、市民たちがバリケードを作る。
バリケードは援軍が来ないと意味がない、時間稼ぎの戦法だ。2日持てば良い方らしい。
では彼らは、有効な援軍がいないのに、たった2日持ちこたえるために、なぜバリケードを作るのか。
最初の興味はこの辺だったが、アニメーションは映画と違って、絵が動いている。
アニメーションあまり注意して見たことなかったので、とても驚いた。
目を伏せて見上げるとか、うらぶれ街を歩き座り階段を登るとか、1つの動作から次の動作に移る、もうそれだけで美しい。
役者さんが意識して演じる時もそりゃぁ美しい瞬間だが、それを絵で、一枚一枚描いてるなんて信じられない。
自分がとても面白かったのは、物語の表紙やイラスト、挿絵とも少し違うようだ。
多分、演劇、映画などでも使われる、コマ割りや絵コンテと呼ばれるもの。
役者に演技指導をして、つか自分が役者になりきって、舞台に立つような、そんな感じ。
なんか楽しい。悲劇ですら、舞台では楽しい。現実ではなく、比喩的な世界。
自分で役者をやったり映画をとったりはしないけど、自分がやってみたいそれら時間や心情・行動の連続性、
油彩では表現しづらい。多分、油彩画の役目じゃない。
それは多分、デッサン、スケッチ、ドローイングの役目。ルーベンスのデッサン集を見て、本当にそう思う。
絵画にできない事ではなくて、向き不向きはあるから、ドローイング的な絵コンテを、やっていけないわけではないだろう。
1年で油絵小品でも10枚も描けなかったのに、完成度にこだわらず、気持ちをしたい方向に全開にしてみたら、
振り返ると5ヶ月で物凄い枚数描いてる。100枚/月は描いてる。
だんだん何も見ないで、自分でこういうポーズが欲しい、こういうシチュエーションが欲しい、と設定してできるようになっていく。
これが表現ってことなんだな。
拙くて、それが作品として通用するにはまだまだなのが残念だが、
描き続ければいずれ、というか今まさにこの瞬間すでに、なんか良い事がある気がするのです。